歴史

藤原道長は私達のご先祖様?源平藤橘とは

大河ドラマの藤原氏は私達の祖先かもしれない

現在NHK大河ドラマで紫式部を主人公とした『光る君へ』が放送されています。
その中の主要登場人物として藤原道長が登場しておりますが、
この藤原道長は平安時代最強の貴族であり、その隆盛具合が今後描かれることになるでしょう。

そんな藤原道長は名前の通り、藤原氏出身の貴族です。
藤原氏とは中臣鎌足を祖とする氏族であり、昭和時代の日本史のキーパーソンとしても普通に藤原氏子孫が出てくるような凄まじい家系です

また、日本の貴族には、藤原に限らず超名門氏族達が存在します。
その代表例として、

  • 源氏
  • 平氏
  • 橘氏

藤原氏とこの三氏をあわせて、一般に源平藤橘(げんぺいとうきつ)と言います。

そしてなんと現代日本人の大半がこの四氏族にルーツを持つと言われているのです。
こちらの記事では四氏族の簡単なご紹介していきたいと思います。

日本最強の四家系、源平藤橘とは

「源平藤橘」とは、源氏・平氏・藤原氏・橘氏の各頭文字を取ってこれら四氏を総称するものです。
このうち源氏・平氏・橘氏は元々皇族出身ですが、臣籍降下により新しい氏族として独立し、その家系は続いていくことになります。

臣籍降下とは

  • 皇族がその身分から離れて臣民として皇族・天皇に使える立場になること
  • 臣籍降下した元皇族はそのタイミングで新しい姓を承りました

本記事ではその四家系の紹介をしていきたいと思います。

武士のイメージが強いが元は天皇!源氏

源氏といえば、源義経・その兄で日本史上初の武士政権幕府を開いた源頼朝が有名ですね。

  • 源氏のルーツは第56代天皇である清和天皇です
  • その子である源経基を祖とする清和源氏を我々は一般的に源氏とし、その最たる例が源頼朝でしょう

ちなみに三代将軍源実朝が暗殺されたことにより、源氏は断絶という扱いをされることは多いですが、厳密には鎌倉幕府を滅ぼし、室町幕府を開いた足利氏も源氏になります。

勿論非常に遠い血縁ですが、源氏が開いた幕府が源氏が滅ぼしている構図になっているのは面白いですよね。

ぼんじり
ぼんじり
同じ源氏なら仲良くすればいいのに…

元祖「〇〇にあらずんば〇〇にあらず」桓武平氏

「平氏にあらずんば人にあらず」という発言が飛び出るほど一時的に栄華を極めた平氏。
平氏といえば、平将門・平清盛といったザ・武士が思い浮かびますが、

  • 彼らのルーツは第50代天皇&平安京遷都で有名な桓武天皇です
  • 桓武天皇の曾孫にあたる高望王が、「平高望」を名乗り武家平氏が始まります

高望王は、平将門にとって祖父、平清盛にとっては曽々々々々々祖父(8代前)にあたります。

桓武平氏もまた、源平合戦1185年壇ノ浦の戦いにて滅んだとされますが、源氏同様全ての潮流が滅んでいるわけではなく、それどころか鎌倉幕府を執権という立場で実権を握っていた北条氏は、平氏の出自です。

源平合戦で宿敵だった平清盛(源平合戦頃には平宗盛)と北条時政・義時の祖先は同じなのです。

ぼんじり
ぼんじり
同じ平氏なら喧嘩しないで~!
頼朝くん
頼朝くん
平氏(平宗盛)に勝って源氏(源頼朝)が建てた鎌倉幕府じゃが、
わしの死後、実権は平氏(北条家)が握って、
最終的に同じ源氏(足利尊氏)に滅ぼされたんよ
ぼんじり
ぼんじり
元はみんな皇族なんだから喧嘩しないで…

日本史上最強の貴族、藤原氏

藤原氏はこれまでの源氏・平氏とは異なり皇族の出自ではありません。とはいえ一族の女性を天皇や皇子に嫁がせて、天皇の外戚として実権を握る摂関政治で隆盛を極めました。

その出自は遡ること7世紀

  • 乙巳の変にて中大兄皇子(後の天智天皇)に協力し
  • 当時実権を握っていた蘇我氏を滅ぼした

中臣鎌足が祖です。

中臣鎌足はその功績が認められて、藤原姓を賜ります。

藤原氏は、ちょうど大河ドラマで描かれている藤原道長とその息子藤原頼通の頃が最盛期ですが、その後は武士の台頭等もありしばらく日本史のメイン舞台には出てこなくなります。しかしその血筋は近代日本史にも再登場します。例えば

  • 明治時代最後の首相である、西園寺公望
  • 1937年日中戦争勃発時の首相である、近衛文麿

彼らも藤原氏の分家出身です(西園寺公望は鷹司家、近衛文麿は近衛家)

そう考えると1300年間ずっと日本の中枢・朝廷に近いポジションにいた凄まじい家系であることがわかります。

ぼんじり
ぼんじり
今から1300年後は西暦3324年…長すぎんだろ…

ちょっと地味だが橘もすごいぞ

これまでの三家と比較すると活躍期間が短いですが、源平藤橘の最後は橘氏です。

橘氏の祖は皇族である葛城王が臣籍降下し、橘諸兄を名乗ったのが始まりです。

橘諸兄は、先程出てきた中臣(藤原)鎌足の孫である藤原麻呂・武智麻呂・房前・宇合4兄弟が相次いで病死し藤原氏の実権が弱まった時期に権力を得ます。

しかし子の橘奈良麻呂の代には、権力を取り戻した藤原家の仲麻呂を排斥しようとするも返り討ちにあり滅ぼされます。

橘氏は橘諸兄・奈良麻呂を最盛期として以降登場することはあまりありませんが、その後は奈良麻呂の孫の代にて

  • 嵯峨天皇の皇后となる、橘嘉智子
  • 空海・嵯峨天皇と並ぶ書道の三筆に数えられる、橘逸勢

を輩出します。ただし嵯峨天皇の死後、橘逸勢は842年承和の変にて「謀反を企てた」として流罪となります。これにより橘氏の力は決定的に弱まり、藤原氏(北家)の権力が確立します。

その後は表舞台から姿を消しますが、家系は脈々と続き橘氏の一部は武家となっていきます。そのうちの一つは楠木氏です。
1300年代に後醍醐天皇・足利尊氏・新田義貞らとともに鎌倉幕府を滅ぼし、最終的には足利尊氏との戦いに敗北するも、日本史最強の武将の一人として数えられる楠木正成もルーツを辿ると橘奈良麻呂に行き着きます。

源平藤氏に比べると印象が薄くなりがちな橘氏ですが、しっかりと後世でも歴史上の偉人を輩出しています。

ぼんじり
ぼんじり
しれっと500年後に子孫が出てくるの凄いな

日本人のルーツは主にこの四氏だと言われている

そして現代日本人のルーツの大半はこの四氏であると言われることがあります。

勿論大伴氏・蘇我氏等、その他にもルーツと言われている氏族はたくさんありますが、源平藤橘四氏は1000年前にこれだけ栄えて後世にも当たり前のように子孫の活動・活躍が描かれていてるとかなり現実味があります。

また、たった四氏族から1000年後に日本全国民がその氏族になるなんて計算上可能なのかと言うと、余裕で可能です。

  • 2人の男女から2人の子どもが生まれ、それぞれ外部の家系と婚姻を結びまた子どもが2人生まれ…それが30世代続くとすると…2の30乗で10億人程度、そしてこれが四氏族なので40億人
  • それどころかプラス数世代長く続くと、世界人口をも超える計算になるので、常識的な人数に抑える調整も必要になります
  • 実際には子どもがいないケース・成人前死亡率・家系内で発生する婚姻等考慮すべき事項がたくさんあるのでこんな数字にはなりません

しかし、源平藤橘をルーツと名乗る家系はその家柄の権威性補強のためにそう主張しているだけというケースも大いに有り得るようです。

例えば江戸幕府を開いた徳川家康(松平家)はそのルーツは源氏としていたようですが、その信憑性はかなり怪しいようです。

それまでに武家政権幕府を開いた、源頼朝・足利尊氏が正真正銘源氏であったこともあり其の流れで自らも源氏と主張したという説があります。

家康くん
家康くん
俺も源氏だ(ということにしてる)から幕府開くのは当たり前やで!

似たようなケースは他の武士・貴族家系にも起こりうる話でしょうし、

「正直証拠は無いけど、俺たちも源平藤橘のどれかをルーツにしようっと!」と考える家が多くても不思議ではないでしょう。

まとめ

以上本記事では

  • 源平藤橘各氏族は、それぞれ隆盛を極めた時期と衰退の時期があったものの、家系は断絶せず後世に続く
  • 源平藤橘は大半の日本人のルーツとされるが、怪しいケースもある

ということをまとめてきました。

現代日本においては家柄の優劣など無く、また家柄による差別も決してあってはならないですが、自分の家系が栄華を極めた平安貴族や最強の武士集団にたどり着くかも?と考えるとワクワクしてきます。

いつか遺伝子検査等で「あなたのルーツは〇〇氏!こんなことをやった家系です」というのが簡単に分かる時代がくると嬉しいですね。